全能の神による創造

[1]はじめに

(1)崩壊寸前の世界

2019年12月初旬に中国の武漢で初めて感染者が報告されてから僅か数ヶ月で世界的流行・パンデミックになった。それから3年、一瞬チラッと収まりそうな気配を見せても、変異型が新たな猛威を振るい、一向に収束しそうにない。

3年という年月は世界を医療崩壊に向かわせ、また物質的に、経済的に、政治的に疲弊させるに充分な時間であった。これら眼に見える破壊・惨状は誰もが認識していることだろう。だが、眼に見える破壊と切り離せない眼に見えない惨状、すなわち、人の心が蝕まれ人を大切に思う心が失われ、人と人との関係が破壊されていっている。物理的に互いに近づけないということ以上に、人々の心は分断され、視界が閉ざされ破壊され、孤独感に苛まれている。

(2)羅針盤を失った人類

人類が創造されて約六千年の間に、創造主に背いた人類は少しずつ、しかし確実に内側がボロボロになってきた。地球の管理責任を委ねられた人類の破滅は、不可避的に地球全体の環境破壊にもろに繋がったのである。そして、今、新たな、強力なウイルスの攻撃によって破壊は加速され、滅びが誰の目にも見えるようになって来ている。

地図など必要としない筈の自分の町を歩いていると思っていたら、突如として知らない大都会のど真ん中にいることを発見したような、霧の立ちこめた中で迷子になってしまったような、不安な状況に人々が怯えている時代である。

日暮れに山で道に迷った時に一番危険なことはむやみやたらに歩き回ることで、安全な場所を確保して、夜が明けて明るくなるまで待つことだそうである。今人類は、山中で真っ暗やみの中で両手を泳がせて彷徨っているようである。

世界中が自分は正しいと主張して、意見の対立する者は全て悪者、どんなに踏み潰しても構わないと信じ切っている。夜明けが来るまで、じっと辛抱強く自制しようとする気配は無いように思う。

(3)重要な命題の答えを地に探す人類

一体自分はどこから来て、今どこにいるのか?そして、どこへ行くのか?人であるからこそ、この大切な問題の解答がどうしても必要なのである。本人がそのように自覚していようがいまいが関係なく、実は答えを探し求めずにはおられないのが人である。

「自分は、人間は何者であるのか」「命の意義、目的は何なのか」と、辺りをきょろきょろ見まわしている。この命題自体は真剣そのものであり、解答を探して「きょろきょろ」しているという表現は不適切と思われる位、実は主観的には真面目に探求しているのである。しかしながら、全能の神、天に向かって訊ね求めるべきであるのに、人間の物差しと時間軸でこの地上で探し求め、明解に示してくれる道しるべが地にあるはずだと的外れの「真面目」で思い込んでいるのは深刻な問題であり、錯覚して受けとめた解答は地の下に沈んでいく道でしかないのは悲惨である。