(1)いのちとは?

地上の準備が全て終了した後に、主はいのちのあるものを次々と創造なさった。創造主のいのちの定義は、「生きて動いているもの、血が流れて肉を生かしているもの」(創9:3-4)である。一方、人間の学問が定める生物の定義では、動物も植物も生物という同じ範疇に分類している。

創造主は人と動物に食物として緑の草を与えられたが、このように、いのちあるもの、人と動物は緑の草を食べて生きるためのエネルギーを確保して、初めていのちを維持することができるのである。すなわち、緑の草無しには自立できない存在である。一方、緑の草はよく知られているように、炭酸ガスと水から光のエネルギーを有機物、即ち糖に変換する機能を与えられており、光をエネルギー源として存続できる被造物である。

では緑の草はそれ自身だけで存続できるかというと、そうではない。種類にしたがって存続していくためには、種子・遺伝情報を子孫に伝えていく必要があり、そのために様々な方策を主が与えておられることはよく知られているとおりである。土に落ちて、風に飛ばされて、そして昆虫や鳥や野の獣などが、様々な手段で草木の種子を方々へ伝える役割を果たしている。

(2)水に生きる生き物

いのちあるものとして、主は水に生きる生き物、空を飛ぶ生き物を創造された。

水に生きる生き物と言っても魚だけではない、様々な生き物が水に生きている。イカやタコ、カニやエビなど、一寸考えただけでも数々の動物を思い浮かべることが出来るだろう。カエルも水に生きる生き物として考えられる。

人類の分類では頭に浮かばないクジラやイルカ、そして多分、アシカやアザラシも水に生きる生き物としてこの時創造されたのである。巨獣とか、大きな怪物とか翻訳されて紹介されているが、クジラや海の恐竜などを指しているのかも知れない。

(3)空に生きる生き物

空に生きる生き物も典型的な鳥類だけではなく、空を飛ぶその他の生き物も含まれている。

チョウ、蜂、トンボ、セミなど羽を持っている昆虫類は空中を飛ぶ動物であり、この中に入るだろう。

コウモリ、ムササビ、モモンガなどは、前足と後ろ足の間の飛膜を広げてグライダーのように滑空して樹から樹へと飛び移り、160メートルほども滑空することが出来る。しかし、この飛膜は鳥の翼とは全く異なっており、確かに空中を滑空するが、翼を持つ動物ではないので何とも言い難い。

空を飛ぶ生き物とはどのような生き物であるかということに関して、極めておおざっぱに思える説明を主はされており、人間の考える学問ではよく分からない。コウモリなどこれらの動物を、空を飛ぶ動物と考えれば良いのか、あるいは六日目に創造された野の動物と考えれば良いのか、今のところは不明である。

(4)生めよ、ふえよ

水に住む生き物、空に住む生き物など、いのちを与えられた生き物を創造された後に、「生めよ、ふえよ。海の水に満ちよ。地にふえよ。」と、主は祝福を与えられた。人間の視点からは植物も動物も同一視することも割にあるかも知れないが、主の視点からは全く別であり、植物はいのちあるものの食物であり、環境を整えるための重要な要因である。

血が流れているいのちある生き物は植物とは全く異なった重要な被造物であるので、「生めよ、ふえよ」と祝福を与えられたのである。