全能の神による創造

(1)神のいのちの息を頂いた人

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2章7節、新共同訳)

新共同訳は人類の始祖アダムという名前の由来を明確に示した翻訳になっている。人の体はまさしくアダマから造られ、そして神の霊、いのちの息を頂いてアダムとなった。したがって、私たちからその霊が取り去られた後はアダマ・土の器が残される、すなわち土に帰るのである。あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから(創 3:19)。

土葬というのは、霊を入れていた土の器・アダマを丁重に土中に戻す行為であった。遺体を丁寧に土葬するのは、後になって霊が戻れる器として用意しておこうとしたのであろうか。遺体を火葬して、戻るべき器をなくしてしまうことに昔は抵抗があったようだが、器をもとの土に戻すという行為に土葬と火葬に差はない。土葬をしても、どのように葬っても器は分解されて土壌に混合してしまうのである。土の器に閉じ込められていた霊は、すでに体(人間の目にどのように見えようとも、ただの土の塊)を抜け出して帰って行くべき所へ、すなわち、主の民であれば神の国に、そうでなければ***へ行ってしまっているのである。

ついでに付け加えると、火葬した骨を陶器などの骨壺に納め、墓であればセメントで固められた狭い骨室?や、或いは納骨堂の空間に骨壺を納める。このようにすると、この骨は、大震災などで全てが破壊され、骨壺も壊れて骨が外に投げ出されない限り半永久的に骨のままで残され、「地」に合流できない。

クリスチャンが棺に納められた遺体に対してお辞儀をしたり、手を合わせて拝んだりしないのは、遺体は霊が出ていってしまった後の土の器に過ぎないからである。多くの日本人は、亡くなった人は年に一度、お盆に仏壇に納められている位牌やお墓に帰って来ると信じているので、「お迎え」の様々な準備を行う。その一方で、お盆でなくても位牌やお墓の遺骨に、そこには居ないはずの故人が宿っていると思っている、という矛盾だらけの信仰を持っている。そして、ともかく「お参り」をして位牌やお墓に語りかけ、手を合わせるのである。

(2)エバの創造

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。(創世記2章21~22節、新共同訳)

「アダムのあばら骨から、血の通った生きたエバを造れるはずがない。だから聖書の記述は嘘だ」という主張が一時期盛んに繰り広げられた。一方、この論理に対抗するために、「骨には細胞もあり血が通っており死んではいない、立派に生きている」のだと、生物学的根拠を示して反論がなされた。

そもそもアダムはただの土から創造されたのである。土から形を造り、いのちの息を吹き入れられたのである。だから、主がエバを創造なさるのに、アダムの骨が死んでいても生きていても本来問題ではない。アダムのあばら骨(生きている細胞)からエバが創られたということは、アダムの遺伝情報をそっくりそのまま(性別を区別するY染色体は例外である。人の性質を決定する基本的な遺伝情報は、Y染色体以外の染色体に載っている)エバに与えられたのだということを書き記して、人々に教えられたのである。

「私の骨からの骨、私の肉からの肉」(創 2:23)とアダムが喜んで言ったのは、その点でも正しい発言であったのである。アダムとエバの唯一の違いは性染色体であって、アダムが与えられていたY染色体はエバには与えられなかったという点である。

アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

(創世記3章20節、新共同訳)

(3)あなたにとってアダムとエバは何者か? 

神の御姿を映されて人が創造された経緯を学んで、この創世記の記述をあなたはどのように受けとめただろうか?創造の記述はただの神話であり、実際に起こったことではないと考える人々がいる。また、神話ではないが、最初の人は20万年前に出現しており、遙か昔の出来事であり、自分とは無関係な遠い人物のように感じる人も大勢居るようである。

二人は私たちと同じ酸素呼吸をしており、私たちと同じ温かい血が流れていたのだと、肌のぬくもりを感じ取ることが出来ただろうか?そして、アダムは自分の先祖であり、神がアダムに与えられた人間としての尊い性質が、全てアダムから自分に流れてきたと受けとめることが出来ているだろうか?

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。(創世記1章31節)

創造の過程の総括が、この一節である。神は創造の工程の節目、節目で点検をされて「よし、よし」と、各工程が企画通りに進んでいることを確認された。そして、創造の御業が全て終了した時点で総点検をなさって、「非常に良かった」と総括されたのである。当然のことながら、この「非常に良かった」は、ご自身の御姿を映された人をも含めての総括である。

私たちは主が大満足されたアダムとエバの子孫である。神が直接創造なさったアダムの遺伝形質をそっくり頂いた子孫なのである。アダムの誇り高き子孫である。そのように自身を思われたことがあるだろうか?偉大な先祖アダムを誇り高く、慕わしく思って、その息吹を感じることが出来るだろうか?