全能の神による創造

[10]祝福し聖とされた第七日

神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。(創世記2章3節)

創造主は、創世記1章1節から、創造の一部始終を順序正しく書き記して、俯瞰的・大局的指針を人類に与えられた。創造の御業のエッセンスであるから、その一節、一節に深い意味が込められている。お書きになった原典は見つかっていないようであるが、原典をほぼ忠実に伝えていると考えられる聖典は、私たち人類に託されている(旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシャ語で書かれているので、それ以外の言語を持つ殆どの国の人々は、翻訳に頼っていることは周知の事実である)。神が与えられた聖書の意図を可能な限り汲み取れるように、御霊の助けをうけて人類は努力を重ねてきている。

私たち日本人にとって、ヘブル語もギリシャ語も異国の言葉であるので、翻訳に頼る以外方策はない。これら言語に関して、高いレベルまで研鑽を積まれた人々は、相当理解度が上がっていることだろう。だが、言語はどの言語であっても、特別な「感覚」「味」「匂い・香り」「旨味」を秘めているものである。母国語でない人がそれを会得し、自身の血となり肉となって使いこなすのは至難の業である。その上で、それを他の言語に翻訳するには、さらに全く別の能力を必要としている。それがどれ位実現しているか、翻訳者とそれを拝読する私たちが、御霊の助けを受けて聖書の真髄に可能な限り近づいていけるようにと祈っている。

(1)六日働き、一日休む

 創造主は順序正しく全宇宙を創造なさり、六日目創造の御業が全て終わったときに、七日目を聖なる日と定め安息された。この秩序ある創造の過程や最後の日の安息は、人に模範を示されたのである。新約聖書に「安息日に働いてはいけない」と、パリサイ人や律法学者たちが人を束縛する道具にしていることが描かれている。21世紀の現代、日曜日は「聖日」であるから「礼拝式」に出席しなければならないと考えるのも同じで、人の考えることは何ら変わらないようである。集まって礼拝する日は日曜と決める必要はさらさらなく、日曜に働かなければならない職種は数多くある。各種交通機関に働く運転士・車掌その他の人々、医療に携わる人々、警官や保安要員など、また活動を止められない商業施設も多い。 

旧約聖書の人々は折に触れて祭壇を築き、そして礼拝している。ある特定の曜日であるとかの記載はない。主に感謝し、心からの礼拝を献げた姿が描かれていて、形式的な、律法主義的な礼拝式とは全く別の姿であり、それが本来の主に献げる礼拝である。

安息日は、働く手を止めて主の御前に出て礼拝し、心身共に安らぐ聖なる日として祝福するために定められたのである。イエス様がおっしゃったように、安息日は人のために設けられたのであり、人を苦しめるための律法として定められたのではない。

(2)主への叛逆はいつ起こったのか?

創造の七日目の主の祝福を享受し、主と顔と顔を合わせて話をする光栄を得たアダムとエバは、その後どのような日々を過ごしたのだろう?七日目を二人がどのように過ごしたのか、或いはそれ以後の日々をどのように喜々として主の庇護下に過ごしたのか。聖書は一切語っていないので、聖書に書かれている事実を統合して理解を進めるしかない。

かなり大勢の人々が信じているらしいことを列挙してみる。①二人が主に背いたのは、創造の8日目か、或いは余り日の経たないうち。②カインの誕生は罪の後。叛逆の記述のすぐ後にカインの誕生が書かれている。③カインは長子で、アベルは次子。④カインのアベル殺しは、二人が大人になってすぐ。二人は未婚で子どもはいない。つまり、地上の登場人物は、アダムとエバ、カインとアベルの計4人だけということになるが、それを明確に述べる人はいないようである。

いつアダムとエバが主に叛逆したのか、いつカイン、そしてアベルが生まれたのか、いつカインのアベル殺しが起こったのか、カインは何人目の子どもだったのか等、聖書が語っていないにもかかわらず、いつの間にかこういう暗黙の了解が成立してしまったのは不思議な気がしないだろうか。これら一連の事件がいつ起こったのか、順を追って整理して考えてみよう。

 より良く理解出来るように概念を図示したので、それを参考に読み進めて頂きたい。

まず、聖書に明確に書かれている事実は、

①ある時期に、カインとアベルがそれぞれ独自に主に捧げ物をしたが、主は、アベルの捧げ物を認められ、カインの捧げ物は評価されなかったこと。

②それをカインが嫉妬して、アベルを殺したこと。

③そのためカインはノデの地に追放された。その時点で、カインを知らない無数の人々が地上には存在していたこと。

④カインは追われたノデの地で子供を設けたこと。

⑤アダムの後継者セツは、アダムが創造されて130年後に生まれたこと。

聖書の上記の記事から論理的に類推されることは、

A,①から:カインとアベルは成人して、すでに親から独立し、それぞれ一家をなしており、今でいう家業(カインは農業、アベルは牧畜)を担っていた(独身であったと考えるより、妻子がいて一家を為していたと考える方が普通だろう)。従って家長として主に捧げ物をした。

B,②から:この事件が起こったのは、セツの誕生に先んじること1~3年だろう(セツは失った息子アベルの替わり)。すなわち、創造後127~9年経過した頃

C,③から:地上に存在していた無数の人々とは、当然アダムとエバの子供たち、孫たち、ひ孫たち等々、数多くの子孫である。

C-1: 罪の入った時期、及びカインとアベルの出生年が天地の創造後すぐであれば、アダムの子孫は全員、生まれながらに原罪を背負っていたことになる(青字で示す)。

C-2: 罪の入った時期が創造後かなりの時間が経っていたとすると、罪までに産まれ罪を知らなかった子孫が、地上に大勢いたことになる(罪以前は黒字で示す)。その後罪が入り、アダム、エバと共に子孫たちも、そして地球、宇宙全体が罪によって呪われることになった。

D,④から:カインはノデの地に追われるときに、家族共々追放されたはずである。カインが重婚したとは考えにくいので、伴っていった妻にノデの地でも子どもが出来たということ。

E,⑤から:①から④までの出来事は、すべて⑤が起こる以前の出来事。いずれにしてもセツは原罪を背負って生まれた。

(3)祝福された豊かな日々

もし、一般に信じられているように、創造後直ちにアダムが主に背き、その後すぐにカインが生まれ、程なくしてアベルも生まれたとすると、人類史は救いようのない真っ暗闇の中で、手探り状態で歩み始めたということになる。「非常によかった」と創造主が喜びに満ちあふれて祝福されたこの世界は、一瞬の猶予もなく泥まみれになってしまったということである。張本人のアダムとエバはもとより、カインやアベル、また名前が書かれていない大勢の子孫たちも主に祝福されたいのちと世界を楽しむことが全く出来なかったということである。

あるいは、アダムとエバの創造後、上記C-2 のように、長い年月を経た後、アダムとエバが主に叛逆し、創造後127~9年経過した後、アベル殺しの惨事が起こったとしたらどうだろう。その長い年月に、罪を知らない子供たち、孫たち、ひ孫たち、子孫たちが大勢生まれ繁栄し、主の創造なさった世界を堪能し、世界中に祝福が満ちあふれた長い年月があったということになる。そこには、病も老いも、ましてや死もなく、植物は見事に葉を茂らせ、花が咲き、実が豊かに実り、動物や人間に提供している。喜びに満ちあふれた人々、動物たちには、どんな類いの諍いも存在しない、そういう平和な地上生活があった。罪にまみれた今の世に生きる私たちには想像さえ出来ない真に豊かな楽園である。人類史の初めは、そのような幸せな体験と思い出を頂いて、それを子孫に伝えながら進み始めたということになる。

こうして、長い年月に何百万人、何千万人が罪を知らないで主の恵みと祝福をたっぷり味わい、主への信頼、信仰、愛を満喫して、その遺伝子を子孫たちに伝えたとしたらどうだろう。現在、クリスチャンは全人口の30%くらいしかいないと思われる。しかしながら、人類には生まれながらにしてその愛と祝福の記憶の遺伝情報が刻み込まれており、「創造主」という明確な認識がなくても、超自然な偉大な存在を薄ぼんやりと脳裡に刻み込まれて命を与えられているのである。様々な土着信仰まで含めて、なにがしかの信仰心が人類には刻み込まれているという事実は、このことに起因しているのかも知れない。原罪という呪いの遺伝情報に対する認識が一般には無いように、こうした超自然の神の認識も心の奥底にしまい込まれて生を頂いたのかも知れない。