全能の神による創造

[2]聖書・・・人間にとって全ての総て:慈愛・規範

(1)絶対的な規範・指針

天地万物の創造の神の壮大な目的は、御姿を映して創造した人に、絶大な庇護を与え、地上で幸せないのちを楽しませることであった。この重要な土台が揺らぐと、全てのことが空中で泡沫と消え去って、全宇宙も、地球も、人も薄もやの掛かった状態の中に雲隠れしてしまう。そのような薄ぼんやりとした状態の中で、大いなる方に護られて存在し続けてきた人類は、しっかり眼を見開いて、耳をほじくって、頂いた聖書と真剣に向き合う必要がある。

聖書とは、無からすべてのものを創造なさった全能の神・創造主の著書である。人間の文字として記したのは確かに任命された人間ではあるが、著者は創造主である。聖書の「出エジプト記」を描いた映画「十戒」で、神がご自身の火の指で十戒を岩に刻み込んでモーセに与えられたと映像で表現されていたが、印象・概念としてはこのように受けとめても良いと思われる。

聖書には、創造の歴史及び人類の歴史の重要な出来事が赤裸々に記され、そして未来に対する重要な預言までが網羅されている。私たちの先祖の生き様の中に、今の自分たちの世界や自分自身の姿を垣間見ることが出来るが、神が歴史を紐解いて人類に語っておられる中に重要な教訓が盛り込まれているのである。

聖書は歴史書以外に、心を和ませる詩があり、教えの書があり、預言書がある。イエスキリストの降臨により、創造主は人間に永遠の救いを与える新しい契約を用意して下さった。それぞれの書物は、創造主からの特別なメッセージを伝えているが、その核心を貫いているのは、まず神の慈悲・慈愛であり、そして尊い御姿に似せて創造された人間が、正しく幸せに生きるための指針・規範である。人間には必須の重要な命題に対して、正しい答えを与えている唯一の書物が聖書なのである。

キリスト教国はもとよりのこと、キリスト信仰には背を向けている日本でさえ、「聖書・バイブル」という言葉は、「正しい基準」という意味で用いられることが多い。

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(2)神の慈愛・正義の書

天地万物の創造主である神は、「全知」「全能」「偉大」「正義」「絶対」「慈愛」であることが、聖書全体に溢れ出るほどに記載されている。そしてそのような方が、常に最善をなさる方であるので、この方の庇護下で生きる道が最も正しく賢明で幸せな道であることを聖書に明確に示されたのである。

さて、このように聞くとクリスチャンは、あっさりと同意する。だが、その内容を問いただすと、真面目な人物ほど答えに窮して口ごもってしまう。

神が正義の方であるなら、どうして地上の諸悪を放っておかれるのだ!と、ふと憤りを感じるのではないだろうか?何が悪で、何が善であるかを、人間の視点・考えで勝手に決めてはいけないと、いのちを頂いた最初の最初に言われたのではなかったのか。「善悪の知識の木の実を食べてはいけない」と。だが、人間は不遜にも、善悪は自分で決める、自分で判断できると信じ切っている。これこそアダムの子孫である所以である。このおぞましい罪から逃れる術はないのである。このことをしっかり噛みしめ、受け容れなければならないのである。

そもそもピント外れの人間であるから、人間が考える正義は全能の神の正義とはとことん異なったものであるだろう。そして、神は私たちに正義を行い、最善をしてくださる方だと聖書の文字面を追っかけて、上面だけ納得しても、大体神の正義を理解せず、神の最善を理解しない人間にその内容が理解出来るわけがない。私たちが望むとおりに神がして下さると思って、筋違いの願い、祈りをするのが人間の常である。しかし神の最善は、全く異なったところにあるので、私たちが望まないような結論を下されることがしばしばある。

神は「慈愛」そのものである御方であると、聖書は言い切っているが、これがしっかり理解出来るだろうか?そもそも、日本語、そして英語では「愛」という言葉自身が曖昧である。聖書に書かれている愛、神の愛は、人間が考える愛とは根本的に異なる。全く異質である。聖書では、①通常の人と人との関係・心の繋がり、②男と女との関係、そして③神から注がれる「慈愛」とそれぞれ異なった言葉で表現されている。そして、前の二つに関しては、人間はある程度理解が出来るが、神からの愛は分かるわけがない。神からの愛を、一応区別して「慈愛」という言葉で表したが、勿論慈愛と言葉を換えてみてもその内容が理解出来るわけがない。

このように人間には分からないと、「諦めるしかない」ように思われるが、それでも、全てのことをご存じで、私たちのために一番善いように取りはからってくださる方、全幅の信頼を寄せて凭れ掛かっても良い御方であることが、聖書にしっかりと記載されているのである。

(3)時代を超越した歴史

聖書は、私たちの総てを見通し受け容れてくださっている創造主からの贈り物である。万物の創造に始まり、私たちが知らない遠い将来まで、時代を超越した歴史を語る書物である。

 初めに、神が天と地を創造した(創世記1章1節)

聖書の冒頭の一節は、ずっしり重く、温かく、慈愛を以て私たちを包み込んでおり、深い意義を持って私たち人類に迫ってくる一節である。この一節が、聖書総てを物語っていると感じてもそう間違ってはいないだろう。