しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創2:17)

(1)アダムとエバの体験的「死」の学習

神に叛逆した直後には、人は死ななかった!アダムは、実に930年も生きたのである。「神様はあのようにおっしゃったけれど、でも死なないじゃないか。死ぬどころか、エバも自分も元気で、大勢の子孫が与えられているじゃないか。」と、アダムは思わなかっただろうか?

彼らが初めて知った死は、叛逆したときに主ご自身が動物を殺して「皮の衣(恐らく羊の皮?)」を彼らに与えられた時だろう。そして、人の死として記録されているのは、カインがアベルを殺した大事件である。この息子二人の殺人事件で、アダムとエバがどれほど嘆いたか、苦しんだかは殆ど書かれていない。エバはその後、多分余り年月を経ないでセツが与えられ「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。(創4:25)」と言って、大切な息子を失った代わりとして与えられた息子を「代わり(セツ)」と名付けて苦しみと喜びを表現している。

彼らが体験的に学んだ死は、自然死ではなかった。自分たちの犯した叛逆という罪の為に、神の手によって犠牲になった動物の死であった。アベルの死は兄カインによる殺害であった。寿命による死、自然死をいつ、どのようにして学んだのかは、一切不明である。それを学んだときに、彼らは何を思い、どのように悟ったのだろうか?それも不明である。

(2)必ず死ぬ

「必ず死ぬ」と神が宣告されたのは、アダムとエバ二人だけに対するものではなく、全宇宙、全地球、全人類、来るべき未来の世界、未来のアダムの子孫・人類にまで残らず及ぶのだということを、先に述べた。土地は「呪われ、いばらとあざみをはえさせる」。人は「産みの苦しみを味わい」「顔に汗を流して糧を得なければならない」「ついに、あなたは土に帰る。あなたはちりだから、ちりに帰る」

ここに「必ず死ぬ」の具体的内容がずばり書かれているのである。土地は荒れ果て、苦しんで耕さなければ何も実らせない。苦労して生きて、最後に、もとの土に帰る。即ち、「必ず死ぬ」は霊魂の死だけを意味されたのではなく、肉体の死をも意味されたことは明白である。

(3)老化は死への過程か

神学者も一般クリスチャンも、現実に見ている死と神の御言葉との間のギャップを埋めることが出来ないで苦しんだ。930年後に死んだのだから、やっぱり「必ず死ぬ」の死ぬは肉体の死を含んでいたと、頭の体操で分かったとしても納得出来ないだろう。即座に起こった死とは余りにもかけ離れすぎていて、主が下された死刑の内容にはぴったり当てはまる感じがしないと思われた。

だが、先に考察したように、原語は「死につつある」すなわち、死に直結する老化の始まりを意味していたのだろうと推察された。主は初めから肉体の滅びをも含めておっしゃったのである。主がおっしゃった言葉の意味をしっかり翻訳できていればこういう混乱は起こらなかったかも知れない。

(4)神に導かれた生物学

主である神は、医学、生物学、天文学など自然科学の分野を、人間の知識の成長に合わせて導いてこられた。人間や動物の肉体の死・寿命は、インド象は約80年、ハツカネズミは約6年など動物の種類毎に定まっており、体の大きさ・体重が大きいほど寿命が長いことが判明した。さらに、この寿命の情報はそれぞれの動物毎に遺伝し、その情報は遺伝子に組み込まれたことが分かった。

それまでの医学・生物学では、人間の生後約20年は老化ではなくて成長であると捉え、40歳前後からの変化を老化と捉えていたのではないだろうか。老化や死が遺伝すると分かっても、どのように遺伝するのか、その分子レベルでの作用メカニズムを理解するには、生体高分子の構造や機能、そして相互の関わり、生物学全般の静的、動的知識、遺伝学などの進歩がまず先行する必要があった。そして、体内の代謝反応、遺伝の仕組み、遺伝子の構造、機能、作用メカニズムなどを分子レベルで解明できるところまで導いて下さったのである。主は忍耐強い御方であるので、人類の理解が届くレベルに達するまで開示する時期を待っておられたのだろう。

(5)寿命の回数券:細胞の分裂回数

分子生物学の発達が遺伝学にも大きく反映し、遺伝子の分子レベルでの作用メカニズムが順次解明される段階になって、老化のメカニズムが少しずつ明らかになった。目下、まだ研究レベルであるようで反論する学者もいるようであるが、生物を構成する全ての細胞の老化は細胞の寿命として遺伝子にどのように組み込まれているかが判明しつつある。

 人間はおよそ六兆個の細胞から形成されているが、その一つ一つの細胞は造られた時から順次細胞分裂を繰り返して代謝回転するメカニズムが細胞の中に組み込まれている。それぞれが最初に定められたとおりに細胞分裂し分化して、定められた機能を果たし、昨日と次の世代の細胞に引き継いだ後に寿命を終える。一つの細胞が何回細胞分裂をするかは、それぞれ定まっており、あたかも回数券のような機能を持っているという。

 細胞分裂をする度に回数券を一枚切って渡して、回数券の残り回数が一枚ずつ減少していき、回数券がなくなるとその細胞は役割を果たし終えたとして寿命が尽きる仕組みになっているという。この回数券が細胞の染色体の先端に存在していて、テロメアと名付けられている。若い細胞はテロメアが長く、老いた細胞はテロメアが短くなっている。全身の細胞は臓器毎に、組織毎に微妙に統合されているので複雑ではあるが、非常に簡単に考えるとこのような仕組みで全身の代謝回転が維持されているということになる。臓器・組織の中で生命に必須の臓器の細胞が分裂できない状態、すなわちテロメアが極端に短くなってしまったときに、その個体は「死ぬ」ことになる。

 主がおっしゃった「必ず死ぬ」「死につつある」の内容を人間が理解出来るところまで、主は自然科学を発展させて、解明させて下さったのだと思われる。このように人間の科学の知識で説明されると、納得できるのではないだろうか。あの時、アダムとエバの (そして実は動物たちも) 全細胞に、この回数券・テロメアが超自然的に、すなわち神自らの御手によって組み込まれたのだと、今の知識の段階で、筆者は考え始めている。

(6)創造主に背いた人間にとって「死」の意味

 人は創造主に祝福され、護られて、生きるときに最高に幸せを享受できるように造られた。その創造主にそっぽを向き、叛逆したとき、主の御旨に背いて生き始めたとき、その幸せをどぶに捨ててしまったのである。

 霊的に死に、魂も死んだ人間の辿る人生が以下に悲惨かは、歴史に明らかである。心はいつも荒れ果てており、互いにすぐに憎しみを生み出してしまう人間の世界になった。生存競争、弱肉強食、常に他と比べ合いながら、終わりのない背比べをしている。霊魂体ともに醜い姿になり、くたびれ果てている人にとって、肉体の死を同時に与えられたのは、主の大きな愛と憐れみによるものである。

 罪の為にボロボロになった肉体は滅びる。「ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから(創3:19)。」しかし、その人の本体は、イエス・キリストを救い主として信じる信仰により、神の国に還ることが出来、罪のない新しい体を与えられる約束を頂いたのである。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3章16節)